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help リーダーに追加 RSS 誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡[木村 元彦]

<<   作成日時 : 2009/01/07 22:21   >>

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『異なる文化が対立を起こしたんじゃない。むしろ、対立を煽るためにさまざまな違いが利用されたんだ。

民族、宗教、言語・・・・・そしてフットボールも』


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誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡
[木村 元彦]
2000/09



「欧州の人間にとってサッカースタジアムは戦場だ、としたり顔で説く日本のジャーナリストがいる。代理戦争どころか、ここではサポーターがそのまま兵士になる」

1990年5月13日、ザグレブでのリーグ最終節「レッドスター対ディナモ・ザグレブ」の試合前にクロアチアのサポーターとセルビア人警官が衝突し、クロアチア人のサポーターだけでも約300人が戦死したという。


1965/03/03 ドラガン・ストイコビッチ、セルビア共和国のニシュに生まれる
1981      ラドニツキ・ニシュに入団
1983/11/12 フランスとの親善試合で代表デビュー
1986      レッドスターに在籍
1990/05/13 クロアチア・ナショナル・スタジアムでの暴動事件
1990/06    イタリア・ワールドカップ出場。準々決勝でアルゼンチンにPK負け
1990/06    マルセイユに在籍
1991/06/25 スロベニア・クロアチア両共和国独立宣言
1991/06/27 スロベニア十日間戦争
1991/11/13 ユーロ92予選、本大会出場を決める
1992/03/03 ボスニア独立宣言
1992/03/07 ボスニア内戦が全土化
1992/04/27 新ユーゴスラビア連邦共和国樹立
1992/05/30 国連は新ユーゴスラビアに対して制裁措置を採択
1992/05/31 UEFAは新ユーゴスラビアのユーロ92の出場権を剥奪

審判の判定にすぐにキレてカードをもらう。それは、僕の勝手なイメージでした。

内戦によりさまざまな苦難にあった国民の為、その期待に応えようとする責任感の強い人間、そう感じました。


正直、『内戦』・『戦争』と言われても、あまりピンとこない。


ただ、『仲の良かった隣人同士がいきなり殺し合いをはじめた』と聞くと、狂気としか思えない。
それが現実に国家として起きたのがユーゴスラビアの内戦だと。


戦争が起きている国に、制裁措置がとられるのは当然だと思っていた。
ユーロの出場権なんて剥奪されて当たり前だと思っていた。戦争をしているんだから。

ただし、当事者の視点から見ると、少し違うなと思った。
ピクシーは内戦なんて望んでいなかっただろうし、多くの人は訳のわからない内に犠牲になってしまったのかなと。


そんな多くの人の思いを背負い、『祖国のため』にプレイするピクシー。


感動しました。





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